努力の天才少年レーサー・中上貴晶君は現在、中学2年生。
貴晶君は4歳のときにポケバイと出会った。
最初は、まともに乗れなかったが、7歳のころには頭角を現し、レースで勝利を重ねるようになった。
その後、ミニバイクを経て、2005年1月に125ccの国際ライセンスを取得した。
そして5月、日本最高峰の全日本ロードレース選手権に史上最年少でデビューした。
体重の軽い貴晶君は、重量規制で10kg近くの重りをつけなければならない。
貴晶君は、全日本選手権第6戦の鈴鹿では5位に入賞し、10月に最後の2レースを残すのみとなった。
この日は、岡山でのレースに向け、自家用車で出発した。
およそ10時間かけてサーキットに向かう。
第7戦の岡山で、予選はあいにくの雨。
岡山国際は慣れないサーキットのため、いまだバイクのセッティングがコースに合わなかった。
セッティングをするためのピットインをしない貴晶君に対し、母の由比子さんは「なんでおまえ、54秒で平気で、55秒で平気で走るんだよ。全然だめで走れないんだったら、(ピットに)入ってくりゃいいじゃん」と話した。
強まる雨足の中、予選2回目のタイムトライアル。
順位を上げるべくトライした予選2回目で、貴晶君はスタート直後、雨に後輪をとられ、転倒した。
転倒したバイクを見て、父の信吾さんは「バイクやばい。結構ぐちゃぐちゃ。一番怖いのは、壊れた部品がどこが壊れているかわかんないというのと、その壊れた部品のスペアがほとんどないので」と話した。
信吾さんがバイクを修理するが、組み立てていく過程で不足する部品が続出した。
信吾さんは、多くのレース仲間から足りない部品を借りて修理を続けた。
そして翌日、決勝の朝、ようやくバイクは修復した。
貴晶君は、一生懸命トップについていこうとしたが、走り込みとセッティングの不足で30秒以上離されてのゴールとなった。
この結果に、由比子さんは「いいんじゃない、勉強になったから。転んで」と話したが、貴晶君と信吾さんは「なってねーよ」と話した。
それから半月後、一家は、最終レースが行われる栃木県のサーキットにいた。
貴晶君は「最後なんで、バシッと表彰台に立ちたいですね」と話した。
第8戦栃木・ツインリンクもてぎではセッティングも決まり、6位入賞。
由比子さんは「想像してなかったタイムが出て、もうそこで本当にうれしくて」と話した。
信吾さんは「レース終わって褒めてるのを初めて見ました」と話した。
貴晶君は「2006年は(全日本で)チャンピオンとって、将来の夢はMotoGPでチャンピオン取ることです」と話した。
4歳でバイクと出会い、バイクとともに成長してきた貴晶君は、2006年もさらなる飛躍に向け、走り続ける。
スポット参戦のため、貴晶君はすべてのレースに出場したわけではないが、それでも年間ランキング13位となった。
また技術向上のため、2005年はあえて馬力の劣るノーマルエンジンで走ったが、2006年は、ほかの選手と同様、チューンアップした勝てるバイクで臨むという。
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