2007年1月8日(月)放送 「天才少年レーサー“奇跡”の復活」
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2006年は全日本選手権年間チャンピオンに輝いた天才少年レーサー・中上貴晶君(14)に、大きなアクシデントが起こりました。
復活にかけるその姿にカメラが迫りました。

現在、中学3年生の中上貴晶君。
2006年11月の全日本ロードレース選手権の最終レース。
この日までに年間チャンピオンを確定させた貴晶君は、史上初の全戦全勝をかけてレースに臨んだ。
貴晶君は、2位スタートながら徐々にペースを上げ、後続を引き離した。
そしてトップに立ったあとは、独走状態でゴールした。
しかしゴール直後、後続車両と接触するアクシデントが起こり転倒、100メートル近くも飛ばされた。
貴晶君は、4歳のときポケバイと出会い、その後、ミニバイクを経て、12歳のときに125ccに転向した。
2005年、13歳で全日本ロードレース選手権に初参戦。
2006年には、初戦で史上最年少優勝を飾り、その後も連戦連勝で、最終戦を待たずに年間チャンピオンに輝いた。
また2006年には、レースの本場、スペイン選手権にも参戦し、海外にも活動の場を広げていった。
シーズン前のインタビューで、貴晶君は「全部勝つつもりでいきます」と語っていた。
しかし、スペインでは、なかなか思うような成績が残せず、5位を最高に10位前後の成績が続いた。
日本とスペインを往復する生活で、徐々に疲労がたまっていった。
鈴鹿での事故が起こったのは、スペイン選手権をあと2戦残していた時だった。
このとき、左の手首と小指を骨折するけがをしてしまった。
事故後、40度近く熱を出した貴晶君は、熱が下がらず、3日後に入院した。
医師は「小指の、第5中手骨っていうところの、頸部(けいぶ)っていうクビのところが骨折してる」と話した。
貴晶君は、けがをしたときについて、「悔しいっていうか、スペイン残り2戦あったんで、そういう部分も考えましたけど、でも、もう起きちゃったからしようがない。最終戦のヘレスには、間に合わせて出たいと思っています」と語った。
貴晶君は、1週間後に退院したが、スペインのチームからはレース欠場の通告があった。
その後、貴晶君は復活に向け、水泳など、リハビリを兼ねたトレーニングを開始した。
母の由比子さんも、貴晶君の体を気遣った食事を作り、サポートを続ける。
由比子さんは「第一は貴晶の健康管理」、「山芋はやっぱり粘りが出るので、シーズン中はやっぱりレースは粘りなので」と話した。
事故からおよそ2カ月後、貴晶君は事故後初めてマシンに乗るため、ミニバイクのサーキットに来た。
貴晶君は「早く乗りたいですね」と語った。
鍼灸(しんきゅう)師の先生も同行した。
貴晶君は伸び伸びと走り、けがをしたことを感じさせない走りを見せ、次々とカーブを攻めていった。
由比子さんは「楽しそうに乗ってたんで、安心しました」と話した。
貴晶君は「楽しいですね、もう腕も全然、普段通りだった」と語った。
2007年の正月、貴晶君は近くの神社に家族で初詣でに行った。
絵馬に書いた願い事は「スペイン選手権チャンピオン」。
けがによって悔しい思いをしただけ、貴晶君はまた1つ大人になっていく。
愛するたくさんの人々に支えられながら、さらなる飛躍に向け、これからも挑戦し続ける。

貴晶君は、2007年は生活の基盤を日本に置きつつも、スペイン選手権など、海外でのレースを中心に活動を続けていくという。


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