
帰ってきた矢部ちゃんのカメラマン日誌
カメラマンのつぶやき

今回は、小泉訪朝の取材に行った大峡カメラマンのカメラマン日記です。さまざまな思惑と取材規制でがんじがらめの中、大峡カメラマンは、帰国する拉致被害者の家族のみなさんの姿の撮影に、どうやって成功したのでしょうか。

2004年6月14日 拉致被害者家族の姿をとらえろ!
2004年5月21日。そして日帰り。
急きょ決まった小泉首相の北朝鮮再訪問。
拉致被害者の家族が100%帰って来ると言われていた。
その家族の姿を絶対撮りたいマスコミと撮らせたくない政府。二者相対する中で、唯一撮影することが可能な場所、それが平壌順安空港での乗り込みだった。
重大な使命を持ったわれわれ空港取材代表カメラクルーは総勢9名(TV6名,スチール3名)
「運が良ければ撮れるだろう」くらいの軽い気持ちで、プレスセンターのある高麗ホテルを16時30分、出発した。
だが、定期便の到着の時間と出発の時間が重なって空港内に入れない。
時間は刻々と過ぎていく。
「定期便があることは事前にわかっているのに...」
「きっと家族を見せたくないんだ」
「家族はもう飛行機に乗っているかもしれない」
取材リポートの撮影風景
そして首相到着の30分前、われわれはなぜかターミナル内出発ロビーに案内された。
「まだ入れないのぉ」とカメラを床に置いた瞬間、別室から手にバックを持った5人の集団が現れた。
「あれ? 人数は事前の情報とピッタリ」、「顔も両親に似ているなぁ」
皆で目配せしていると、隣にいた北朝鮮案内人(北朝鮮ではすべての外国人に「案内人」と称する通訳兼監視人が付き、24時間監視される)が、「この人たちが拉致被害者の子どもです」と教えてくれた。「カムサムニダー」すぐにでも撮影したいが、空港内は撮影禁止。非常にはがゆいが、5人の顔、服装、待機している場所はわかった。
その後、エプロンに案内される。正面に首相の乗る1番機、対して90度機首を振った位置に家族の乗る2番機が止まっていた。とりあえずカメラ位置を決め、すぐ窓越しにチラチラ見え隠れする家族を撮影する。生中継のカメラも5人を狙う。東京では、即5人の姿をカットインした。
「やったー。何とか責任は果たせたぁ」
そんな中、首相の乗った車が空港に到着した。金永日外務次官に見送られ、首相がタラップを登る。表情に明るさはない。われわれの関心は5人の子どもたちだ。絶対に撮ろうと最前列に生中継カメラ、少し下がったセンター、左サイドと3台のカメラで万全の体制をとる。首相が搭乗してから結構時間がたった。非常に長く感じた。カメラはターミナルに向けられ5人が現れるのを待つ。そして5人が階段上に現れる。
北朝鮮側職員が駆け上がる外務省職員を階段下まで下がらせた。
「北朝鮮側は5人を撮らせたいんだ」
そして5人そろって階段を下りてくる。途中で立ち止まる。
「ラッキー! バッチリ撮れる!」
ピョンヤンの朝
短い時間だが、5人のグループショットと1ショットでパン(*1)を撮る。もっとアップで撮りたいが距離があってエクステンダー(*2)を入れてもアップできない。「くやしーい」
下に降りた5人は多数の外務省職員にガードされて2番機に向かった。
5人が飛行機に乗り込むのを待って、小泉首相の乗った政府専用機が定刻15分遅れで飛び立った。それから30分後、5人の子どもたちを乗せた2番機も夕焼けの東の空へ消えて行った。
飛行機の飛び立った順安空港に再び静けさが戻った。
今、5人の家族の表情が日本にいち早く届けられたことに満足している。
取材撮影部 大峡弘士
*1) カメラを左右に振ること。転じてカメラを左右に振って撮った映像のことも。
*2) カメラのレンズの焦点距離を伸ばす装置。
アーカイブ一覧へ
