
帰ってきた矢部ちゃんのカメラマン日誌
カメラマンのつぶやき

海の底で80年間眠っている駅があります。
昔は、多くの人が行き交い、今は魚たちが群がります。
そんな駅を見てきた水中班、小崎カメラマンの報告です。

2006年11月6日 海底に80年間眠る駅
秋だ! 水中撮影の季節だ! 陸上より2カ月遅れで季節の変わる水中の世界では、地上が秋に入ってからが夏本番。黒潮の影響により、南方系の魚たちが数多く集まるし、透明度もグンとアップする。
水中カメラ
今回、わがフジテレビ水中班が出陣した先は、神奈川県小田原市の根府川。ここの海には、なんと海底駅が存在する! 海底駅と聞くと、未来都市の駅のように想像されるかも知れないが、実は、遠い昔に存在した東海道線旧根府川駅のことで、開業後わずか1年で関東大震災の山津波により海中に没した悲運な駅だ。現在の2代目の駅は、風光明美な駅として人気があり、無人の改札を抜けると、眼前に広がる駿河湾が訪れる観光客を優しく迎えてくれる。
町田さん
現在の駅の撮影を、鉄道にくわしいドライバーの町田さんにすべてお願いした。20年前から根府川を訪れていただけあって、撮影ポイントのアレンジは完ぺきだ。駅の紹介部分が素晴らしいだけに、水中撮影にプレッシャーがかかる。
今も海底に残る旧根府川駅の遺構
海底の状況はというと、震災でホームとともに沈んだ機関車は、第2次世界大戦中に鉄資源として回収されたため、現在は一部を残すのみだ。残った残骸(ざんがい)には海草が生え、現在は、魚の住みかとなっており、83年の時の経過を感じさせた。
一見して、それとわかる被写体でないことは事前の取材でわかっていたが、リポーターを潜らせることで、沈没個所までの距離や被写体の大きさなど、現場感が伝わるようにした。動きがなく色も失われ、カジメ(海草)のジャングルと化した巨大な人工物の塊から、当時の出来事を少しでも感じとれるよう、根気よく丁寧な撮影を心がけた。
「サーヤ」こと
小林ディレクター
今回、リポーターを務めたのは、水中班のマーメイド的存在で、サーヤの愛称で親しまれている小林ディレクターだ。小林Dはことし、潜水士の国家試験を見事パスし、資格を取得したので、水中研修を経て、今回晴れて、水中リポートデビューとなった。日ごろから沈着冷静な仕事ぶりで定評のある小林Dだが、その行動は水中においても変わらなかった。初めての水中撮影でも、淡々とリポートをこなすあたりは、さすがにプロ! 頼もしいかぎりであり、今後が楽しみだ。
この日のコンディションはドピーカン(晴天)! 9月の中旬にして最高気温32度、水温は25度と、真夏に逆戻りしたようだ。機材のセッティングを済ませ、水中マップを見ながらブリーフィング(潜水計画)を行う。ここでの潜水は、浜辺から入るビーチエントリー、ボートでポイントまで行き、ポチャンと飛び込むのと違い、ポイントまでは泳いで行く。機材を持って波打ち際まで運び、小林Dにリポーター専用のフルフェースマスク(マイクロフォンを内蔵した顔全体を覆うマスク)を装着させる。このタイプのマスクは、着けた瞬間から空気を消費してしまうので手早く装着する。片手でガイドロープにつかまり、打ち寄せる波にあらがいながらフィン(足ヒレ)を履く。
水中班のカリスマ・山岡チーフ
その時、事件は起きた。あろうことか、水中班リーダーの山岡チーフが履こうとしていたフィンのストラップが切れてしまったではないか! 急ぎ予備のフィンを装着したが、分厚いゴムでできたストラップが出発直前に切れたことで、縁起の悪さを感じながらのエントリーとなった。
小型カメラでの撮影
最初に向かったポイントは、陸から沖に向かって約70メートル、海底に突き刺さった鉄柱が残された場所。ポイントまでは水深が浅く、透明度は良いが、土地勘がないので、迷子にならないよう全員まとまって泳いだ。泳ぎ出してからかなりの時間がたったように感じ、まだ先なのか? 帰りの分の空気を考えると、撮影に費やす時間が少なくなるなと思っていた時、あった! 唐突に現れた鉄の柱は、周りの風景に溶け込むことなく、何かを訴えるかのようにこつぜんとそこにあった。海草で覆われた長さ5メートルほどのこの柱は、かつては、小田原 - 真鶴間を走る客車だった。
ここで最初のリポートを撮ったが、ここでもトラブルに見舞われた。肝心のリポートの音声にノイズがのっている。事前のチェックでは問題なかったが、マイクの故障が考えられる。いずれにしても水中で解決できることではないので、撮影を打ち切り、帰路についた。
水中での意思の疎通はノート
音声トラブルは、マイクを取り替えることで解決した。収録したリポートも何とか使える部分があったので、2回目の撮影は海底に沈むホームにした。午後になって波が立ち始め、透明度が悪くなったが、先頭を泳ぐわたしの前に、おぼろげながら見えて来たかつてホームだったそれは、海草にまみれ、変わり果てた姿になっていたが、今でも汽車を待つかのようにひっそりとたたずんでいた。何か言い知れぬ畏怖(いふ)の念に駆られながら撮影をした。
そして、それを見透かされたように、ここでも予期せぬトラブルが待っていた。すべての撮影が終了したあとに、わたしのコンパスが壊れていたのに気づいた。山岡チーフの引率で無事帰還することができたが、原因のわからないトラブル続きの撮影に、ただならぬものを感じていたのは、山岡チーフも同様だった。
取材撮影部 小崎(こざき)和彦
音声次の日、駅構内にある慰霊碑に線香を手向け、すべての撮影を終了した。83年前には、汽車を待つ人たちに背中を貸していたホームも、今は魚たちの安全な住みかとして、海底で静かに眠る。陸上1年、海底83年の旧根府川駅は、これから先もずっとここにあり続けるのだろう。
われわれ水中班は水中が大好きである。水があれば、どこでも潜る。情報があれば、どこにでも行く。これからも水中にある何かを求め、潜り続けるのだ!
皆様の情報をお待ちしております。
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