新着

聖火はオーストラリアへ

マレーシア総選挙

乗り継ぎも綱渡り(ネパール)

熱帯雨林激滅の本当の理由

これが本当の国際会議? 地球温暖化防止バリ会議(インドネシア)

和やかな反政府デモ(シドニー)

シドニーAPECの裏側 市民生活への影響

DVD探知犬

夏だことしもドリアンだ!

モスク立てこもり事件の真実とは

初サウジアラビア

ニュージーランドで日本人4人焼死

日朝交渉わずか3時間で終了

金正男氏を追え!

「正しい日本食」とは?

アジアの電話がつながらない

米軍イラクへ増派

マグロが危ない

フィジーでクーデター

「ええっ! 国際会議が延期?

豪州が大変だ!

トンガ国王死去

北朝鮮の変化

 

過去記事アーカイブ
 
スマトラ沖地震-取材日記-

12月26日

スリランカ南部ハンバントダ地区の惨状


午前10時すぎだったか、インドネシアの現地人記者から、マグニチュード8規模の地震があったと連絡があった。

恥ずかしい話だが、この地震が引き起こした津波で、15万人以上の人が死亡するなんてことは、想像だにできなかった。
その後、支局へ出向き、マレーシア国内の被害状況を調べていくうちに、ペナン島でも数百人という人が、病院で手当てを受けているといった情報がわかってきた。
その時、隣国タイのプーケットでは、すでにかなりの数の住民、観光客が死亡との情報も入り始めていた。
クアラルンプール支局では、同僚の敷田記者が26日18時発の便で、早速クアラルンプールから空路プーケット入り。
もちろん、バンコク支局からも2人の記者がプーケットに入り、取材を開始した。私は早速、マレーシアで最も大きな被害を出したペナン島へ取材に向かおうとしたが、デスクから「あすの早朝まで待て」という指令。
結局、この日は情報収集に明け暮れ、帰宅したのは午前1時を回っていた。


12月27日

ハンバントタ地区を取材

午前3時にデスクからの電話。

「スリランカで日本人が津波に巻き込まれたという情報があるので、すぐに向かってほしい」との電話。

こういう時に大事な電話をとり逃さないように、電話のボリュームは最大に、枕元の近い所に置いて寝ることは、記者の悲しいかな当たり前の習慣である。

どれだけ短時間にパッキングができるかというのも特派員にとって大切な能力の1つ。
現地で買えるモノについては、持っていくことにこだわらない。ただしサンダルや歯ブラシ(東南アジアのホテルでは備えつけていない所も多い)、枕などは私の必須持参アイテムである。クアラルンプール国際空港でスリランカ行きの飛行機に文字通り駆け込み、午後にはコロンボ国際空港に到着した。一刻も早く日本人が津波に飲み込まれた現場に向かいたいという気持ちを押さえつつ、現地の記者から情報を吸い上げ、東京からの怒とうのような中継要請をなんとかこなしていく。
28日夕方まで、ほとんど睡眠時間はなし。
こういう時に、学生時代に培った体力のありがたさを実感する。37歳にして、まだ2日半くらいは眠らなくても、なんとかまともな思考能力が働くようである。


12月29日

スリランカ南部ゴール市内

パリ支局から加藤記者が応援に駆けつけてくれた。
これで現場へ行ける。早速、4輪駆動車や少量のビスケットなどを準備し、スリランカ南部のヤラ国立公園へと向かった。

コロンボからヤラまでは260km、ただし、海岸沿いの道路が破壊されたために10時間以上を要した。相棒は気心知れたフリーの津田カメラマン。彼は190cmという大柄の身体を持つ一方で、繊細なコンピューターを自在に操るという頼もしい存在だ。
途中、南部のゴールという町からの中継。木の枝に車が突き刺さったような背景が津波の激しさを象徴していた。
海岸沿いに駐車していたこの車は、津波に200メートル以上も流されて木の枝に突き刺さってようやく止まったという。

せい惨な現場をリポートしようとすると津田カメラマンから「そこ、気をつけて!」と一言。 危うく踏みつけそうになったその物体は、3〜4歳の幼児の遺体だった。2人して思わず「ワァッ」と叫んでしまった。遺体を見ることは、それほど珍しいことではないが、無造作に「物体」として放置されているその子どもを見た時のショックは大きなもので、胸の動悸(どうき)がその後、数時間は収まらなかった。


12月30日

スリランカ・ヤラ国立公園

およそ20人の日本人が津波にのみ込まれたヤラ国立公園の取材。
何よりも驚いたのは、動物たちの死がいを見なかったこと。これについて、公園の責任者が興味深いことを言っていた。
「象や鹿は、津波が起きる30分ほど前に、一斉に小高い丘に駆け上がったのを見た。彼らには何か予知能力みたいなものを備えているのだろう」と。
この時ほど彼らにインタビューしてみたいと思ったことはない。でもきっと彼らにも説明がつかないであろう。きっとそれは本能なのだろうから。
午後、ハンバントタという小さな町を取材した。スリランカでもっとも被害が激しい地域だ。
レポートでも言ったが、まさに「街が消滅したような光景」がそこにあった。

ぼう然として父親を探す母娘

そこでがれきの中に埋まっているお父さんを探している母娘に出会った。
津波からもう4日ほどたっており、父が生存している可能性はほとんどないというのに、母娘は、積み上がったがれきを手で1つ1つ取り除いていた。「お父さんのにおいがするから絶対ここにいる。見つけるまでは帰らない」
確かに、がれきの中からは人間の死臭が漂っている。彼らにとって、そのにおいが父親そのものであるらしい。
手で取り除いていては何日かかるかわからないその作業、途中、何度も母娘が視線が定まらないまま、じっと遠くをみつめている光景が印象的だった。


1月3日

タイ南部
カオラック地区の身元不明遺体安置所


パリ支局長の小泉記者、ロンドン渡部記者がモルディブから合流した。
わたしは津波発生以来、取材を続けたスリランカをあとにして、依然として多数の日本人の行方不明者が残るプーケットへ転戦。

まだ数多く残る身元不明者の写真



タイ南部、カオラックの遺体安置所などを取材する。
スリランカでもそうだったが、人の死臭というのは気づかないうちに体や洋服にしみこむ。洗ってもなかなか取れないものだ。
ただし、これがイヤなにおいかというと一概にそうともいえない。本来、体のにおいというのは、われわれ人間が持っているものである。
それが発するにおいというのは表現が難しいが、決してイヤなにおいとは違う。次第に慣れてさえくるものだ。
ただし、私の場合、体はそれを強く拒否するらしい。1時間も現場にいれば決まって激しい頭痛に襲われた。
こんな状況の中、ボランティアや各国から派遣された身元確認チームの人々は、24時間ほぼ休みなく、この壮絶な現場で働いている。