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ミンダナオ残照

ダバオを目指して高度を下げ始めたフィリピン航空813便の窓の外、発達した積乱雲がぐっと胸を張る。力強いその姿は、きっと60年前から変わっていないのだろう。そう思いをはせたとき、機はわずかに開いたすき間から雲の下へと滑り込んだ。そこには深緑の高地が広がっていた。



元日本兵の生存情報が寄せられたミンダナオ島には、終戦後60年になる今なお、旧日本軍に関するビジネスが横行している。主立ったものとしては、「山下財宝」や今回のような「元日本兵情報」だ。実際、ジェネラル・サントス市内で取材をしていると、怪しげな男たちが、旧日本陸軍の軍服を着た男性の写真を手に、次から次へと声をかけてくる。「この男は友人の父親だ。足腰は弱っているがまだ山の中にいる...」
話が真実なら、優に一個小隊を超す元日本兵が今も密林の奥深くで暮らしていることになる。

以前、取材でミンダナオ島と気候のよく似たインドネシアのパプア州の密林で、1週間ほど野営して取材をしたことがあるが、巨大な蚊や密林ダニ、野豚などの野生動物の襲来に悩まされ、難渋した記憶がある。そのような環境で60年にわたって生活を送るつらさは想像を絶するとしかいいようがない。

結局、情報に振り回された格好で終わった今回の元日本兵騒動だが、ジェネラル・サントスからダバオまで車で戻る途中、正真正銘の元日本兵と遭遇した。場所は、ダバオ近郊の海を見下ろす小高い丘、その中腹に、地元の人たちが「ジャパニーズ・トンネル」と呼ぶ陸軍第30師団のものと思われる司令部壕(ごう)跡がある。
入り口には、旧陸軍の士官と兵卒の等身大フィギュアが置かれている。斜めに階段を下りていくと、壕の中は、ジメっとした空気に包まれている。
全長200メートルを超える壕には、3つの部屋があり、それぞれの部屋には、旧日本兵のフィギュアが置かれている。手前の2つの部屋の数体はマネキンに近く、しかも穏和な表情をたたえているが、奥の部屋のものだけは、どうも様子が違う。机に向かって書類にペンを走らせているそのフィギュアはボロボロの軍服をまとっており、表情も青白く険しい。さらに胸の辺りは茶褐色に変色して穴が開いている。係の人に聞くと、10年ほど前に壕の中で見つかった軍服を着せているのだという。
一礼をしてその場をあとにしたが、あの日本兵から放たれていた気迫は忘れられない。きっと、今もあの壕の奥で戦い続けているに違いない。


バビユン
「ポーぺー」、五感をくすぐる懐かしい笛の音が聞こえる。アイスクリーム売りやヒヨコ売りなどが行き交う昔ながらの路地。人口1,200万人の超巨大都市、インドネシアのジャカルタでは、今でもそんな光景をよく目にする。

早朝からやって来る物売りの屋台の周りに自然と人垣ができる。「ちょいとしょうゆを貸して」、「もっとだんなが稼いでくれたらねぇ」など路地を駆け抜ける生暖かい風にあたりながら主婦たちの井戸端会議は延々と続く。

そのうち、子どもを抱いた主婦の1人がつぶやく。「きのう、ウチの子、ベッドから落ちたの。熱が出て大変」 すると誰とはなく「バビユンのところへ行きなさい」と言い出す。「バビユンが一番」、「バビユンよね」と続く。「え、バビユン」?
「バビユン」とはジャカルタで有名な赤ん坊専門のマッサージ師のニックネーム。インドネシア語で「痛いおばさん」というだけあって、バビユンの家からは、朝早くから夕方まで赤子の泣き声が途切れず聞こえてくる。
バビユンのマッサージは過激だ。最近、日本で流行しているソフトなベビーマッサージとはまったく別次元のものだ。年輪を刻んだ米俵のような顔で赤子をぐっとひとにらみしたかと思うと、手足を引っつかみ、放り出さんばかりの勢いで持ち上げたか
と思うと、左右に「ぶうん、ぶうん」とひと振り、ふた振り。泣き出す赤子にまったく動ぜず鼻歌交じりで全身をもんでいく。「♪痛いの痛いの出ておいで。あんたの居場所はそこにはないよ」仕上げに激しく首を押さえつける。赤子は泣き声を上げているが、不思議と涙は出ていない。それどころか、どの子も終わったら笑い出すのだ。
バビユンは83歳、代々、ベビーマッサージを行ってきた家系だそうで、一見、簡単そうに見えるマッサージも秘伝のテクニックがあるそうな。バビユンの自慢は、これまで70年近くにわたって数万人の子どもたちにマッサージを行ってきて、親からの苦情が1件もないことだ。マッサージは、発育不全や発熱などに効果があるとの評判。ただし、大人には効かないそうだ。