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パキスタン地震

被災地入りしたのは、地震発生から3日後だった。パキスタン北部の病院では、被害を受けた病棟の一部を使用禁止にしたため、病室の数が足りず、やむなく屋外のテントに患者を収容していた。
今回の地震で大きな被害を受けた北部は、10月中旬でも、朝方には気温が10度前後まで冷え込み、多くの患者が寒さに震えながら、屋外のテントで治療を受けていた。
医師の数も足りず、満足な治療を受けられない患者が泥まみれの広場に並んだテントの中で、配給のビスケットをかじっていた。

最も被害の大きかった街の1つ、バラコートでは「立っているものがない」くらいほとんどの建物が倒壊していた。地震に強いとされている学校など、コンクリートでできた大型の建物が倒れ、多くの生徒が生き埋めとなった。地震発生から1週間以上たっても大型作業機械などの不足から、遺体の回収もままならない状態が続いていた。
また、国内外から支援物資が徐々に届き始めていたが、現地で不足している毛布などを積んだトラックが到着すると、配給所で荷物を降ろす前にトラックの荷台に力のある男性が群がり、物資を奪い合う姿を目にした。まさに「弱肉強食」といった感じで、とても女性や子どもなど、災害弱者に必要な物資が渡るような状況ではなかった。「復興」という言葉が口にできるようになるまでには、まだかなりの時間がかかりそうだ。


バリ島爆弾テロ
「バリ島の3カ所で爆弾テロ。日本人旅行者も巻き込まれているもよう」。日本人になじみの深いバリ島でのテロ。発生翌朝、飛行機に飛び乗り、現地へ向かった。
テロの現場となった海岸沿いのレストランには、イスや机が爆発の衝撃でメチャメチャに壊れ、床には人々が楽しんでいた食事が、そのままの状態で散乱していた。
楽しかった日常の1ページが、一瞬にして、狂気の地獄絵に様変わりするテロの恐ろしさを垣間見た。日本人を含む数人の外国人観光客も犠牲となった。観光が大きな産業の柱となっているバリ島は、この3発の爆弾で壊滅的な打撃を受けた。
3年前の爆弾テロからようやく立ち直った南海の楽園は、再び「テロの島」としての代償を支払い続けることとなった。
神崎 博