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被災地入りしたのは、地震発生から3日後だった。パキスタン北部の病院では、被害を受けた病棟の一部を使用禁止にしたため、病室の数が足りず、やむなく屋外のテントに患者を収容していた。
今回の地震で大きな被害を受けた北部は、10月中旬でも、朝方には気温が10度前後まで冷え込み、多くの患者が寒さに震えながら、屋外のテントで治療を受けていた。
医師の数も足りず、満足な治療を受けられない患者が泥まみれの広場に並んだテントの中で、配給のビスケットをかじっていた。
最も被害の大きかった街の1つ、バラコートでは「立っているものがない」くらいほとんどの建物が倒壊していた。 地震に強いとされている学校など、コンクリートでできた大型の建物が倒れ、多くの生徒が生き埋めとなった。地震発生から1週間以上たっても大型作業機械などの不足から、遺体の回収もままならない状態が続いていた。
また、国内外から支援物資が徐々に届き始めていたが、現地で不足している毛布などを積んだトラックが到着すると、配給所で荷物を降ろす前にトラックの荷台に力のある男性が群がり、物資を奪い合う姿を目にした。まさに「弱肉強食」といった感じで、とても女性や子どもなど、災害弱者に必要な物資が渡るような状況ではなかった。「復興」という言葉が口にできるようになるまでには、まだかなりの時間がかかりそうだ。
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