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■津波1年、スリランカの現状
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(FNN「スピーク」2006年1月9日放送
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2004年のインド洋大津波。わたしは、日本人十数名が犠牲となったスリランカで取材を行った。
家が、そして街が消えてしまったようなあの光景を忘れることができない。無造作に置かれ、放置されている幼児の死体。あの街がどうなっているのかを確かめるために、1年後、再びスリランカを訪れた。
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津波災害直後のスリランカの状態
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今回の取材のポイントは援助物資についてでした。
物資の配分に偏りが生じたことが浮き彫りとなり、スリランカでは、物資があり余る地域も出ていて、新たな問題となっていたのです。
永廣 あかねさん(28)は、スリランカ南部の海岸地帯、ゴール県テルワッタ村で、JICA(国際協力機構)のボランティア隊員として働いています。
彼女は、スリランカで3万人以上が犠牲となった津波に遭いました。
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永廣
あかねさん(右から2番目)
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その後、いったん帰国した彼女でしたが、少しでも復興の手助けができたらと思い、大好きなスリランカに戻ってきたのです。およそ100世帯という小さい村でしたが、何が必要なのかを考え、住民と役所をつなぐコーディネーター的役割をしています。
彼女の働く地域は、津波被害の最も激しかった地域の1つで、このため、多くの援助物資が集まりましたが、村人にとって、これが決していいことばかりではなかったのです。
国連の倉庫の担当者は「実際、必要以上の物資があるよ」と話しています。
津波前より多くのものを手にしてしまった住民がいるという問題に、彼女は今、頭を悩ませているのです。彼女は「まだもらえる、まだもらえるっていう、こう、ぜいたくな気持ちが、もう今はものすごく多くなっちゃってる」と話しています。
中には「お金をください。ツナミ被害者です」などと話す村人もいます。
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現在のテルワッタの子どもたち
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彼女は、特に子どもたちが自立する気持ちを持つことを強く願っています。
子どもたちの強い希望があり、年明け早々、永廣さんは日本語教室を立ち上げることになりました。
近い将来、援助が打ち切られたとき、どうやって生活していくのか。
自立する心を持つことが一番大切だと、彼女は、常に子どもたちに言い聞かせる毎日です。
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■ペナンの風
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(FNNニュース 2005年12月31日放送
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津波で大打撃を受けたマレーシア・ペナンの街を「芸術の街にしよう」と日本から駆けつけた芸術家の向井勝實さん(59)。青森県出身の向井さんの作品に言葉はいりません。
1本の樹木を自由自在に削って、作品に仕上げる、いたってシンプルな芸術家なのです。
日本から持ってきた道具は、ノミとチェーンソーだけ。
向井さんは海外でも、木材を使った斬新なデザインの作品でその名を知られています。
彼は10月上旬にペナン入りし、単身、地元のホテルに滞在しながら彫刻作りだけに集中しました。
木材は、ペナン市内で偶然に見つけたもので重さはおよそ8トン、長さは8メートルあります。
「この木に出会ってラッキーだった。この木を見つけたことで半分の仕事は終わった」と、満足そうに語っていたのが印象的です。
向井作品の特徴は「誰でも参加できること」。
今回も2人のマレーシアの若者が向井さんの作品、情熱にほれ込み、彼の作業を手伝いました。
もちろん飛び入り参加もOKです。
マレーシアの子供たちも見慣れないノミの使い方を教わりながら、自分の思い出を彫りこんでいきます。
向井さんは、子どもたちが「自分も参加した作品だ」ということで、何十年たっても思い出してくれることが一番の喜びだといいます。
涼やかなペナンの海風に吹かれながら、そしてマレーシア特有のスコールを受けながら、この作品は50年後、そして100年後にどのようにその表情を変え、どんな顔を見せてくれるのか、楽しみです。
わたしも参加したこの作品、果たして自分は、50年後にペナンの地を訪れ、再びこの作品を見ることができるのでしょうか。
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(坂本隆之)
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