新着

聖火はオーストラリアへ

マレーシア総選挙

乗り継ぎも綱渡り(ネパール)

熱帯雨林激滅の本当の理由

これが本当の国際会議? 地球温暖化防止バリ会議(インドネシア)

和やかな反政府デモ(シドニー)

シドニーAPECの裏側 市民生活への影響

DVD探知犬

夏だことしもドリアンだ!

モスク立てこもり事件の真実とは

初サウジアラビア

ニュージーランドで日本人4人焼死

日朝交渉わずか3時間で終了

金正男氏を追え!

「正しい日本食」とは?

アジアの電話がつながらない

米軍イラクへ増派

マグロが危ない

フィジーでクーデター

「ええっ! 国際会議が延期?

豪州が大変だ!

トンガ国王死去

北朝鮮の変化

 

過去記事アーカイブ
 
■バグダッド取材報告
2月27日 戦争直前、バグダッドの現状
バグダッドはここのところ、砂嵐が吹くようになってきました。外が黄色になり、目も開けられないほどです。それ以外は快適な暮らしです。相変わらず、「シシカバブ」はおいしく前菜とケバブを腹いっぱい食べても300円くらいなものです。信じられないでしょうが、レストランは夜遅くまで地元の人でいっぱいです。
こっちは国内の報道規制が厳しく、人々に正確な情報は入りません。したがって、自分たちが今どういう状況にあるのかを一部の人を除いて理解していません。だから、サダム・フセインが何をやっているかも知らないのでしょう。現地の新聞もサダム礼賛の記事ばかりです。携帯電話もないし、インターネットの普及率も低く、大部分のインターネットサイトは情報省によってブロックされています。取材も、いつでもだれでも、というわけにはいかず、申請したうえでイラクに都合のよい人が選ばれて取材に応じてくれるというあんばいです。こっちとしても、間違った情報を伝えないように必死です。
こちらのビザは最高20プラス2〜3日ですので、そろそろイラク取材も終盤です。査察のニュースより、イラクの人が何を考え、日々どう生きているかを取材しているつもりです…。
3月20日 イラク戦争始まる
未明にヨルダンのアンマンからイラク国境の街「アルルウェイシド」に到着。想像以上に寒い。間違いなく5度以下の気温だろう。ストーブをたいても震えが止まらない。現地時間の午前3時すぎに、ついに米英軍がイラク空爆を開始した。イラクから物資を運んできたトラックの運転手などの情報をもとにして、テレビ電話での生中継を試みるが、なかなか電話がつながらない。想像以上に多くの人が衛星電話を使っているようだ。回線がパンク状態になっているに違いない。東京は午前11時すぎから特別番組に切り替えてニュースをやっているようだ。この特番に電話リポート・中継をあわせて5回ほど行った。どの程度の情報・現状が視聴者に伝わったのだろうか。
3月25日 ヨルダン・イラク国境のホテルにて
戦争開始から5日目。空爆開始の前日からヨルダンとイラクに国境に近いアルルウェイシドというところにいます。地図にも載っていないような街というより、集落です。「イラクに一番近い街」といってもレストランは1軒だけ。滞在しているホテルは0.3星レベル(笑)のひどいホテルで、停電はしょっちゅう、トイレの水も流れません。シャワーももちろん出ず、湯沸かし器で沸かしたお湯を薄めてかぶっているという状態です。それでも昔は、こういう状況を楽しめたんですが、さすがに今はこたえます…。当然、通信施設も乏しく、朝起きるとインマルサット(衛星電話)をセッティングすることから1日が始まります。 ようやくメールもできるようになりました。
4月13日 陸路900kmを走破し、いよいよバグダッドへ
朝6時にクウェートのホテルを出発した。メンバーは6人(記者3人、カメラマン2人)、2台のランドクルーザーに分乗して陸路バグダッド入りを目指した。7時30分にアメリカ軍のコンボイ(車列)と合流し、9時に緩衝地帯(DMZ)へ。9時30分に国境を越えて、あとは一路バグダッドへ。19時にバグダッド到着。総走行距離は900km弱。およそ1カ月半ぶりのバグダッドは驚くことばかり。風景が一変しており、しばし絶句。ついこの前まで使用していた市内の事務所も盗難に遭い、何もかも消えていた。夜も、一晩中発砲音が鳴りやまない状態。夜になると、市内は真っ暗でとても取材や出歩ける状態ではない。まだまだ危険がいっぱいである。
4月20日 バグダッドの略奪現場に遭遇して思ったこと
振り返れば、ことしは1月の8日にロンドンで化学防護訓練を受けたのを皮切りに、2月はバグダッド、そして5日間だけクアラルンプールに戻って、戦争直前の3月18日からイラク・ヨルダン国境へ。そして、4月の初めからクウェートへ行き、13日にクウェートから陸路バグダッドに入りました。一応、支局長という肩書きがあるのに、ことしはクアラルンプールに2週間しかいないことに気づきました。戦争後のバグダッドは戦争前とは比べ物にならないくらいすべてが破壊されてしまい、朽ち果ててしまっています。 ああいう情景を見るとありふれた陳腐な言葉ですが、「戦争反対」と叫びたくなります。ただ、少しずつ町も生き返り始め、イラク国民のエネルギーを感じます。先日も食料倉庫の略奪現場に遭遇したのですが、「略奪」という言葉とはやや違い、なにか「ほほ笑ましさ」すら感じました。今までサダム・フセインに「略奪」されていた分を取り返そうとしているようにも感じました。アフガニスタンとは違い、道路などのインフラは格段によく、アラブの国の中でも「働き者」といわれているイラク国民です。意外に早く立ち直るかも知れないと期待しています。現在は、フジテレビのスタッフは5名、レストランは1軒だけなので、持っていったコメを炊飯器で炊き、缶詰とふりかけとレトルトカレーだけの食事です。シャワーは2日に1回、このホテルはよく停電になるので、15階まで階段でのぼることもしばしばです。さすがにそろそろ、クアラルンプールに帰りたくなっています。
4月23日 戦争で風景が一変したバグダッド
バグダッドからの撤退命令が出たため、陸路クウェートに戻ることになった。バグダッドは50日前とは違い、昼も夜も半そでで過ごせるほどです。日差しはサングラスがないと歩けないくらいまぶしく、かといって、木陰はさわやかで湿気もなく相変わらず過ごしやすいところです。ただ、街は荒れ果てていて、わずか50日前にはピカピカに磨かれていたモスクにも空爆の後遺症なのか、ほこりがかぶったままです。町の中心部は空爆が激しく見る影もありません。とても自分が50日前に取材していたのと同じ街には見えませんでした。ただ、われわれが取材していた12日間で、かなり街に元気が出てきたのには驚きました。今では市民の表情が見違えるほどです。今後もこの街、バグダッドを見守っていきたいと思う気持ちでいっぱいです。