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■ジャワ島地震

別の取材でシンガポール滞在中に、インドネシアのジャワ島・ジョクジャカルタ周辺で地震が発生しました。地震の規模がそれほど大きくなかったこともあり、当初は経過を見守っていましたが、犠牲者の数が100人を超え、「すぐに行ってくれ!」ということになりました。

しかし、現場に向かおうとしてもジョクジャカルタの空港は閉鎖されていて、インドネシアの空の便は大混乱。早々に現場に向かった民放他社は、とりあえず首都のジャカルタへ向かいました。そんな中、「ジャワ島中部の北にあるスマランという空港が開いている」という情報をゲットし、すぐさま電話で予約を入れ、飛行機に飛び乗りました。

スマランに着いたのは夜の8時ごろ。そこから被災地まで車で4時間ほどかかります。東京からは「『ニュースJAPAN』で電話リポートしてくれ!」というオーダーを受けましたが、放送時間までには現場に着きそうにありません。仕方なくジョクジャカルタの手前で「今のところ、被害は見受けられない」という電話リポートを入れました。現場に着いたのは、ちょうど深夜0時ごろ。ジョクジャカルタ市内は停電で真っ暗、余震を恐れた被災者の多くが家に入らず、路上で夜を明かしていました。とりあえず、被災地を自分の目で見たかったので、震源に近い南を目指し車を走らせました。南へ向かうにつれ、道の両側の建物の壊れ方が激しくなり、ほとんどの建物が倒壊している村もありました。

夜明けとともに再び取材に出かけ、昼ニュース用に電話リポートの準備をしていたところ、偶然、ホテルの前で地元テレビ局の中継車を発見。何とか使わせてもらえないかと交渉したところ、ニュースの放送が始まる直前にOKが出て、急きょ「生中継」できることになりました。この中継が、日本のテレビ局で初めての現場からの中継となったようです。ちなみに他社は空の便をあきらめ、ジャカルタから車や列車で10時間以上かけて被災地入りしたようでした。

この地震の死者は5,700人以上、地震の規模以上に犠牲者が多かった地震でした。その原因は、この地方特有の家の構造にあります。柔らかいヤシの木の柱にブロックを積んだ壁、竹で編んだ屋根に重い瓦を載せた耐震性をまったく考えていない構造。また多くの人が就寝中の早朝に発生したことも災いしました。こう考えると、阪神大震災の教訓はまったく生かされていないような気がします。われわれ日本のメディアの情報発信能力が高く、この地域の人にまで阪神大震災の被害や教訓をきちんと伝えることができていれば、この犠牲者のうちの何人かは救えていたかもしれません。本当に残念です。

  


ジャワ島地震 2 -ジャワ島津波・悲劇は繰り返された-
5月のジョクジャカルタの地震に続き、7月には、同じインドネシアのジャワ島で地震が発生、南部の沿岸が津波に襲われました。
発生翌日の朝イチにマレーシアをたち、インドネシアの首都ジャカルタからクルマで現場に向かいました。
高速道路は最初の2時間ほどで、あとの6時間はずっとくねくねの一般道。津波の被害が大きかったパガンダランという街に着いたら、夜になっていました。海辺は停電していて、真っ暗な中で取材しました。カメラのライトに照らされた範囲を見ただけでも、現場の惨状がありありとわかりました。

翌日明るくなってからの現場では、あらためて津波の破壊力のすさまじさを実感させられました。海沿いの建物は、すべて基礎の土台部分だけが残っている状態。厚さ10cm以上のコンクリート製の壁まで破壊され、建物内部のものは、すべて流されていました。道路には、ガレキが山のようにうずたかく積まれていました。海沿いのホテルの従業員は「地震の揺れは、ほとんど感じなかった。津波が来るのが見えてから避難したが、多くの人が逃げ遅れて津波に巻き込まれた」と話していました。

今回の津波では、インドネシア政府の対応が悪く、警報を出さなかったことが被害を拡大させた要因とみられています。2年前のスマトラ沖地震津波の教訓が生かされていないのが残念でなりません。

パガンダランの住民は津波におびえ、「津波が来る」デマが流れると、必死の形相で高台などに避難していました。政府は、津波警報システムを整備すると明言していますが、インドネシアの人が安心して暮らせるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

ここインドネシアでの取材では毎度のことですが、問題は宿です。海岸沿いのホテルは、すべて津波の被害を受けたため、仕方なく、街外れの民家を借り上げ、そこに寝泊まりすることになりました。当然のことながら、エアコンもなければ、電話もテレビもない、シャワーもなければ、トイレに紙もありません。風呂はくみ置きの水を手おけですくって浴びます。当然冷水です。便所も同じで、右手に手おけ、左手でおしりを洗浄する「手動式ウォシュレット」。取材の裏でこうした苦労が絶えないのが東南アジア特派員の運命なのかもしれません。