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■W杯日記5 − クロアチアサポーター −

クロアチアの選手が合宿をしていたバイエルン州の保養地、バード・ブリュケナウ。
選手に会うことを目的として、ここを訪れるクロアチア人サポーターは多い。
練習後、選手たちが現れると、サポーターは彼らを取り囲む。
写真の求めに応じるなど、丁寧に応対する選手。
試合の前日でも、それは変わらない光景だった。
そして、これは日本代表には決して見られない光景だった。

日本代表も普段通りにしていればいいのだと思う。変に気張らないで。
日本代表が合宿地であるドイツ・ボンに到着したときに、雨にもかかわらず、花束を持って待っていた日本人の子どもたちの前を多くの選手が素通りしたという話を聞いた。
もし真実だとしたら、なんとも悲しい話だ。

どうして、花束を受け取って、ひと言「ありがとう」という言葉を言えないのだろうか。選手たちは、そこまで切羽詰まっているのだろうか。
子どもたちの気持ちさえ、考えられないのだろうか。
平常心こそがW杯で一番求められるものだと思うのだが。

  

■W杯日記6 − もう一度日本でW杯を見たい −

W杯が終わった。
今回、1カ月近くドイツで取材をした。
一番驚いたことは、ドイツの街は、どこへ行ってもパブリックビューイング(以下PV)があることだった。
どんな小さな街でも、至るところに屋外カフェがあり、そこにテレビがあり、そしてPVがあった。

わたしも時間の許す限り、カフェで地元の人たちとビールを飲みながらゲームを見た。
試合の時間が近くなると、カフェは人で埋まり、シュートが決まると大歓声、そして地響きが鳴った。
もちろん、あらゆる試合においてだ。特にドイツの試合は見ていなくても、その震動で得点が入ったことがわかった。
ふと、4年前の日韓大会を思い出す。
はたしてこれほどのPVが日本の街にあっただろうか。
確かにホテルには、特設会場ができていたが、まだ喫茶店やレストランで日本戦以外のW杯のゲームをみる習慣はなかったように思う。

いったいドイツやヨーロッパからW杯を見に来たバックパッカーはどこで試合を見たのだろうか。
4年前のことなのに、やたら心配になった。
わざわざW杯を見に極東の地までやってきた若者が、街では試合を見ようにも見られず、さまよっている光景を想像してしまった。
街のどこででも日本戦以外の試合は放映されておらず、ひとり寂しく、ホテルの部屋でイングランドやドイツの試合を見ていたのではないかと、勝手に想像してしまう。

西欧、まあ間違いなくドイツには、W杯をグループで、街で見るという文化があった。
お母さんが2人の息子と一緒にPVにやってきて、手をたたいている姿を何度も見た。
W杯ってこうやって見るもんなのだな、とやたら感心してしまったものだった。
生きているうちに、もう一度日本でのW杯が見られるのだろうか。
そしてそのときは、われわれ日本人も家族そろって街のカフェやPVで試合を楽しむようになっているのだろうか。


■W杯日記7 − W杯と愉快な仲間たち −

内輪話で恐縮だが、今回、W杯取材で会った面々は、本当に個性的で印象的な人ばかりだった。
例えば、銀行員を辞めて、大好きなクロアチアサッカーを極めるべく、本当にクロアチアに行ってしまったNさん。
彼は、クロアチアサッカーに造詣が深いばかりではなく、チームの監督や選手からも名前で呼ばれるほどの有名人だ。
日本対クロアチア戦のときなどは、現地クロアチアの新聞に彼の解説も載っていた。
今回は、縁あってフジテレビと仕事をし、クロアチアチームの分析などをお願いしていたのだが、彼の知識と人柄に助けられた場面は数知れなかった。
わがフジテレビのサッカー解説陣。
スーパーニュースでおなじみのNキャスターの解説は、シンプルでかつ理論的で非常にわかりやすい。
現場では、サッカー素人同然のわたしの素朴な疑問にもしっかりとこたえてくれる。
豪州戦のあと、「どうしてジーコは柳沢選手を使い続けるのか?」
と聞いたところ、「ちょっとサッカーをわかっている人が練習を見れば、柳沢を出さずにはいられない...」とこたえてくれる。
それくらい練習での彼の動きは他選手を圧倒しているというのだ。
さらに現場では、いつもその大きな体と笑いでスタッフを引っ張っていく。まさに体を張ったフォワードだ。
スタッフや通訳さんへの気の遣い方もさりげない。
彼こそ本当のジェントルマンだ。
これほどの大きな取材団になると、裏方のスタッフたちの働きが成功の大きな鍵になる。その点で、今回のベルリン支局を中心としたスタッフもすばらしかった。
毎日10台以上の車の手配。食事の時間がとれないスタッフに弁当を頼む作業。
日替わりで移動するスタッフのホテルの確保は最重要任務。
それをほぼひとりでこなしていたベルリン支局のKさん。
旧東ドイツ出身だという彼女のパワーには本当に頭が下がった。
98年に初めてお会いして以来、サッカーとは何ぞやということを素人のわたしにくわしく解説してくれた解説者のKさん。
92年のバルセロナ五輪以来、一緒の現場で仕事をした同期のアナウンサー(現在はスポーツ局)のMさん。
98年は、ディレクターとビデオエンジニアとして一緒に働いたSくんは、今回は晴れてカメラマンとして、W杯取材に参加していた。
仕事の合間を縫って、彼らとドイツビールを片手に夜遅くまで語り合うことも数度ではなかった。
普段は、アジアの事件、事故、紛争を担当しているわたしにとっては、今回のW杯取材は、旧知の人や、海外でがんばっている日本人に出会うことができた本当に充実した1カ月となった。