曽我 ひとみさん 手紙に込めた母への思い

09/12 20:34
絶対に忘れてはならないのが、拉致問題です。小泉訪朝、5人の拉致被害者の帰国から、まもなく15年です。その1人、曽我 ひとみさん(58)が、FNNの取材に手紙で回答を寄せ、当時の思いや、いまだ帰国がかなわない母・ミヨシさんへの思いを明かしました。

「平成29年9月8日 曽我 ひとみ」

1文字1文字、丁寧につづられた1通の手紙。
差出人は、北朝鮮による拉致被害者の1人、曽我ひとみさん。

「大好きな母、優しい母。ちゃんと生活しているだろうか」

日本に帰国して、10月で丸15年となる曽我さん。
手紙には、拉致されて以来、離ればなれになった母・ミヨシさんへの思いがあふれていた。

「母が帰ってきたら、やってあげたいことがたくさんあります」、「一日も早く、帰ってきてください」

現在、生まれ故郷の新潟・佐渡市で、介護の仕事をしながら、拉致問題の解決を訴え続けている曽我さん。
今回、フジテレビは、文書で質問を送り、曽我さん自身から、直筆の回答を受け取った。

「『15年』と一言で言い表せますが、実際は、とても長い月日がたっているのです。24年ぶりの故郷(ふるさと)での生活を始めるにあたって、北朝鮮との生活レベルがあまりにも違い過ぎて、戸惑う毎日であったことを思い出します」

帰国当時、24年前とは様変わりしていた、ふるさとに感じた戸惑い。
支援者たちの助けも借りながら、曽我さんは、1日1日を大切に生活してきたという。

「帰国から約2年後に、夫、娘たちも故郷に迎えることができ、その喜びは、何にも代えがたいものでした」

親子4人そろっての再出発。
愛する家族の近況について、曽我さんは...。

「長女・美花は、保育の道に進み、いつも子どもたちに囲まれて、楽しく仕事をしています」、「次女・ブリンダは、結婚し家を離れてしまいましたが、嫁ぎ先の家族とも仲良くやっており、安心しております」

ジェンキンスさんについては。

「年齢的なこともあり、ことしから仕事の時間を減らし、無理をしない程度で働き続けています。観光客の方に声をかけてもらうことが、とてもうれしいらしく、出勤日は張り切って出かけていきます」

曽我さんは、19歳だった1978年8月、買い物に出かけた帰り道、母・ミヨシさんと、北朝鮮の工作員に拉致された。
平壌(ピョンヤン)で行われた日朝首脳会談で、日本人拉致を認め、謝罪した北朝鮮。
ところが、日本に帰国できた拉致被害者は、曽我さんを含め、わずか5人。
進展しない拉致問題。
曽我さんは手紙に、こうもつづっていた。

「正直言いますと、私たち5人を皮切りに、次々と被害者の方々が帰国するものと思っていました」、「家族会のみなさんを見てください。日々、心労が重なり、老いという避けられない現実に、誰しも時間に限りがあることに気づくでしょう」

そして、曽我さん自身...。
曽我さん母娘を救う会・臼木 優会長は、「やっぱり、つらいということがわかりますよ。24時間(母親のことを)考えているんだと思います」と語った。
気がかりなのは、85歳になる母・ミヨシさんの消息。
働いている介護の現場でも、考えない日はない。

「母と同年代の人を見るにつけ、『ちゃんと生活しているだろうか』、『人の手を必要とするほど弱っていないだろうか』などと、良くない方向へ思考が飛んでしまうことがあります。もし、母が介護を必要とする状態であっても、今のわたしなら、十分に世話をしてあげられると思っています」

母親とともに、一刻も早い拉致被害者全員の帰国を願う曽我さん。

「母が帰ってきたら、やってあげたいことがたくさんあります。あれも、これもと想像を膨らまし、母の喜ぶ顔を思い浮かべながら、帰国する日を楽しみに待っているんです」、「無理をしないようにしてください、必ず帰国できる日が来るはずです。心を強く持って、迎えが行くまで待っていてください」

曽我さんからいただいた手紙。
6枚ものお返事をちょうだいしました。
「この15年の間に、無念にも永遠の別れとなってしまった家族が、何組いたことか」、「悲しいことに、わたしたち一般国民には、拉致問題を解決させる力はないのです」とあらためて訴えています。
核・ミサイルで、国際社会の注目が集まっている今こそ、日本は、さらに声を上げるべきとも感じます。

■「曽我 ひとみさんの手紙 全文」は、下記リンクからごらん下さい。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00370191.html

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