サーフィン界期待の14歳 中塩佳那選手 東京五輪から新競技

07/25 20:36
東京オリンピックの新競技となったサーフィン。オリンピックで金メダルを目指す14歳の少女を追った。

「サーフィンと生きる街」といわれる、千葉・一宮町の海で、鮮やかにサーフボードを操る少女。
14歳の中塩佳那選手。
この街に住む、日本サーフィン連盟の強化指定選手。

2年後に迫る東京オリンピックで、新競技として追加されたサーフィン。

サーフボードには、ロングとショートの2種類があるが、東京オリンピックでは、長さ6フィート前後で、先端がとがっているショートボードを使用。

男女それぞれ20人の世界的トップサーファーが競い合う。

波を駆け上がって空中を舞う、高度なテクニックや、きれいな弧を描いて滑る美しさもポイント。

中塩選手は、日本サーフィン連盟のガールズランキングで、2年連続女王の座に輝いているほか、次世代を担うトップサーファーたちが集まった先月の大会でも、準優勝という結果を残した。

そんな輝かしい成績を持つ彼女だが、普段は、一宮町の中学校に通うごく普通の女の子。

得意科目は、体育だという中塩選手。
さすが、身体能力は抜群。

もちろん、体育だけではなく、ほかの教科にも真剣に取り組んでいる。

「普段の彼女はどんな人?」との質問には、「元気」、「明るい」、「クラスを明るくする」などの答えが。

2年生の時の担任・岡澤隆太先生は、「すごく明るくて、元気がよくて、すごくよく笑うし」と話した。

一方で、アスリートならではの一面も。
「めっちゃ負けず嫌い」、「絶対に勝つ」などの声が聞かれた。

クラスに掲示されていた3年生の決意には「全日本で優勝」、「世界ジュニアでベスト4」とあった。

普段から負けず嫌いで、高い目標を持っている中塩選手。

しかし、実は彼女には、サーフィンを続けること自体が困難な時期もあった。

中塩選手は、「もともとは仙台出身で、(小学)2年生の1月に転校してきました。震災があって、海入れなくなっちゃって」と話した。

2011年3月に発生した東日本大震災。
中塩選手は、もともと地元・仙台市で、幼いころからサーフィンをしていたが、津波により、練習ができなくなった。

それでも、中塩選手は「(当時、やっぱり海に入りたいと思った?)思いました、(だから)こっちに来た」と話す。

お父さんは、仕事のため1人仙台に残り、お母さんとお兄ちゃん、妹2人の家族5人で、この一宮町に移り住んできた。

中塩選手は、「生活習慣に入っている。学校も楽しいけど、でもサーフィンのほうが全然楽しい」と語った。

津波によって大好きな練習場所を奪われ、一時はサーフィンができない状況に直面しながらも、そのピンチを乗り越え、今、頂点を目指せる場所に立っている。

中塩選手は「(東京五輪は)目標でもあり、夢でもあり、出たい」、「1年後、2年後には、もう日本人の選手は全員倒す勢いで勝っていきたい」などと話した。

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